佐田岬ツアー またの名を 一人夏合宿
〜一日目〜
土砂降りであった。寝不足の体に鞭打って、走り出した。
最初の目標は、佐田岬で綺麗な夕日を見るというものであったが、10時半出発な時点でそれはもう諦めていた。体に無理がいってしまうのはよくない。せっかくの休みなのだから。カッパを着て夕やけ小やけラインをひた走る。カッパがサウナスーツのようになり、暑いは暑いのだが、日差しの照りつけるような体力を奪う暑さではないので軽快に走る。そう考えると雨も捨てたものではない。案外走りやすいのであった。
とはいっても、海岸線沿いをずっと走っているとアップダウンが続くので疲れる。一日目の昼飯に平家谷の流しそうめんを食べようと思っていたのだが、雨が降りまくっているし、そうめんを食べたいという気分も萎えていた。出発も遅かったし。とりあえず、コンビニ。そんな気分で走りまくる。保内町に入って、やっとローソン2kmの看板を見かける。よっしゃー!! コンビニに到着。軽くパンを食べ、雨だから広げられない地図を休憩中にチェックして、泊まるところに目星をつけた。 よし、まあ、佐田岬のほうに向かって走って、道の駅に泊まればいーや!!そんな気分で走り出す。 すぐに峠に突入するのだが、そこの看板に佐田岬まで60キロくらいと書いてあった。けっこう近いと思うかもしれませんが、荷物を持っているし、体力も低下していたのでスピードはかなり遅いです。コンビニ出てからは平均時速13キロくらいちゃうんかな。ずぅ〜っと登りでかなりしんどかった。もう16時である。シャカシャカと走っていると伊方ビジターセンターに着いた。
伊方ビジターセンターとは、すぐ近くに原子力発電所があるのだが、その原発の説明や原子力発電の原理などをわかりやすく楽しく勉強することができる無料の施設であります。佐田岬に行ったあとの帰りに寄ろうかなとも考えたのだが、17時までということだったし、ひょっとしたらちょっと先にある道の駅に泊まればええかもしれんなぁと思って、行ってみることにした。
家族連れがそこそこいたのだが、カッパを着たまま突入。受け付けのお姉さんにパンフをもらって中を見物した。 壁にあるボタンを押すと機材が動き出して、原子力発電の原理を教えてくれたり、非常事態にはどういう風に止めるのかと いう安全面の説明やいろんな石の放射能測定などがあって、面白かった。無料の施設でありながら、四国で唯一の3D立体映像で原発を学べるシアターがあった。10分という短さであるが、なかなか楽しかった。
実はここは道の駅と一体型であった。あら?俺が目指してた道の駅ってここやん!?という軽いショックを受けながらも売店を練り歩く。こっちの方はスーパーなどがない。ないということはないのだろうが、メロディーライン沿いには店が全くないのである。あるのは地元民が時々行くかどうかと思われる怪しい喫茶店のみ。海岸沿いまで降りればある可能性はあったが、そこまでする気はなかった。しかしいいものがなかったので売店を何も買わずに出る。外でジャコ天を販売している店があった。お腹がめちゃめちゃ空いていたので、買った。ジャコ天は売り切れていたのでジャコカツというのを買ったのだが、アツアツでめちゃめちゃうまかった。ご飯と一緒に食べたかったなぁ…。
雨はずいぶんと弱くなったのだが、風が強かった。ご飯を食べるところも辺りにない様子だったので、もうちょっと走ってみる気になった。とりあえず、次の目標は道の駅『瀬戸町農業公園』である。そこまで走っていると、海への風景がとても綺麗だった。雨も止んだりする時期があったのでこの旅で初めてデジカメを使って風景を撮った。画像では伝わりにくいのですが、本当に景色がいいんです。メロディーラインは尾根沿いに走っている道なので海への風景がひらけて見えるのです。
尾根沿いなのでアップダウンが多い。10キロくらい走って道の駅に到着。風車のある道の駅であった。周りを歩いてみると故・河野兵市さんの碑があった。故・河野兵市氏は愛媛県の冒険家で様々なことをやり遂げたのですが、北極から歩いて日本に帰還するという計画の実行途中にクレバス(氷の割れ目)に落ちて亡くなってしまった方です、確か。 そこに書いてあることを読んだりした。
道の駅のレストランに行き、ご飯を食べることにした。今回の旅のコンセプトの1つは 「いつもよりリッチに!」である。刺身御膳(1580円)を注文。チャリ旅の食費は一日1,000円が基本であるので、これは豪華だ!!刺身もさることながら、サザエがうまかった〜!!海の幸を堪能した。
泊まれるところを探すと、堀切大橋の手前にバス停があり、その待合室が使える!!と思ったのでそこに決定した。 テントを建てる必要もないし、雨風もしのげるからここでいいや♪ということにした。汗と雨まみれの服から着替えてから 実家に電話したりちょっとメールしたりしてから寝たのだった。