2002.メッセンジャー見学in福岡
ここの管理人ことパトはメッセンジャーになりたいという夢がある。 その夢に近づくためにメールを送って少しコンタクトを取っていたメッセンジャーチームの B.M.F(Bicycle Messenger Fukuoka) Pick-upさんの事務所を訪ねてみた。 今回はこのことと、走ったことと北九州大に泊まったことについて綴ってみようと思う。
九州に行くには、愛媛からだとフェリーが安くてお得なので例の如くフェリーに乗った。 夜に出て、朝に着くっていう寸法だ。寝ようとしてたら後輩や友達からメールが着て、かなり眠かったのでメールをすぐに終わって寝ようとした。
ところが、俺の左右のおっさん達は最悪だった。
右側のおっさんはとても寝相が悪くて寝つけそうになったときに限って俺にぶつかってくる。
左側のおっさんは地鳴りのようなイビキだ。とても眠れない。眠いのに眠れない。
左側のおっさんが寝返りを打ってイビキは収まったのだが、今度はおっさんの鼻息が俺の顔にめっちゃ当たるのだ。
これには絶対に耐えられない。俺は荷物をまとめて(といってもリュック一つだが)ロビーのソファーに移動して寝ようとした。だがこっちは冷房が効き過ぎて寒かった。ここでとりあえず眠ろうとしたがうつらうつらしながらも寝れなくて、結局寝床に戻った。
左側のおっさんのイビキも鼻息の問題も、俺がいる反対側を向いて寝ているということが解決してくれた。 あとは右側のおっさんだが、気にしてても寝れないので寝た。なんといっても俺はフェリー就寝中に某上回生の裏拳をくらったことがあるのだ。それに比べたらおっさんの寝相なんぞかわいいものだ(おっさんはかわいくないぞ。むしろむさくるしい。)
結局2時間半程度しか寝られなかったが、フェリーは午前5時に着くのだ。
ミンズから借りたツーリング・マップルで福岡までの道のりを見てみる。3号線でいったら簡単だ。
とりあえずコンビニで軽くご飯を食べてから走り出す。福岡までは約70キロってところだろうか。
ちなみに今回はロードレーサーでの旅である。パンクしたら面倒なことになるが、しないだろうというあさはかな期待を胸に今日もパトは走る。
アップダウンの多い3号線は大型車がかなり多い。朝早くからビュンビュンと大型車が通る。怖いので歩道を中心に走った。出発して1時間半くらいして、アップダウンの連続のときのアップの途中で
パキイィィィンッッ!!
というでかい金属音がした。パッキングが外れたのかと思って、止まって確認したが外れていない。
石でもはじいたのだろうか?と思って、走り出す。
そして20分後。宗像市という所に入って間もなく、パンクした。ロードでパンクしたのは初めてだったが、空気圧が高いのですごい音を立ててパンクした。
ちなみに俺のロードはチューブラタイヤ(タイヤとチューブ一体型でレース向き。旅には普通は使わない)である。パンクしたらタイヤごと交換なのだ。
リムセメント(リムとタイヤをくっつける接着剤)が固くてなかなか取れなかったが、取り終わって新しいチューブをつけようとしたそのとき!
スポークが1本折れていることに気付いた…。
OH MY GOD!!
という気持ちで一杯であった。まだ福岡までの半分の距離しか走ってないのにもしも走れなくなったらどうしろっちゅーねん!
フレはでてるんかなと思ってタイヤを回してみたら、1ヶ所だけ凄まじくフレている。当たり前か…。でもパンクするまでは走れたし、これがパンクの理由でもないし、 ブレーキにすらないようにすればとりあえず走れるだろうということで前ブレーキだけの走行になった。もちろんスピードは出せない。
とりあえずタイヤをはめて空気圧をあげてはめこんだ。リムセメントは使わなくてもとりあえず空気圧をあげればタイヤは外れないらしいので(ゆっくりした運転なら) そうした。時間がないし。
のんびりと、しかしもう1本スポークが折れたらどうしようと恐怖におののきながら福岡目指して走る。相変わらず大型車がビュンビュンだ。
福岡についてからは、もうマップルは役に立たない。道が細かすぎるし、細かな地名がわからない。
コンビニで地図をみてメッセンジャーの事務所を探して、電話してこれから行かさせてもらうということを伝えた。
俺が丁度着いた時、一人のメッセンジャーの人とすれ違った。
「君、さっき電話くれた人?」
俺「はい」
「この上だから、自転車そこらへんにおいといたらいいよ。あ、鍵はちゃんとしたほうがいいよ」
俺「わかりました。ありがとうございます」
というやり取りを交わして事務所を訪れた。
Pick-upの主宰の薬師寺さんと会った。俺が着いたときにはメッセンジャーの人は全員走っていていなかった。まずは薬師寺さんにどうしてメッセンジャーになりたいのか等を質問されて、今までの悩んだ経緯などを話した。そのうえで現在の福岡メッセンジャーの現状や、メッセンジャーの様々な賃金体制のことなどを聞いた。
賃金体制というのはどういうのがあるかというと、
@時給制
A完全出来高制
B最低賃金&出来高制
という3種類だ。
@はそのままで、働いた時間だけ貰える。
Aはメッセンジャーが運んだ分だけ貰える。1便いくらと決まっていて、例えば一便400円貰えるとしたら20便運んだら日給8000円になる。でも収入に波がでそう。注文が少なかったら何時間いても2,000〜3000円の日もあるはずだから。
Bは支払われる最低賃金が決まっていて、そこにプラス運んだ分だけの賃金というものだ。例えば、最低賃金が3000円であとは一便につき300円貰える等。これならば最低賃金は確保できるので少しは安心である。
Pick-upさんでは、時給制をとっているが、福岡ではまだまだメッセンジャーが有名ではなくやりくりもままならないので時給はかなり安い。人件費を削減するためにはAの完全出来高制がもっとも効率的なのだが、それではメッセンジャーが食べていけないので(東京や大阪は大丈夫なのだが)、あえて時給制にしているようだ。
また、時給制にしているのには他にも理由があり、労働賃金が一定なので、メッセンジャー同士がお互いに助け合えるようにという意味もあるそうだ。
たしかに運んだ分だけ貰えるのなら、助けられた人の収入は減って助けた人の収入は増えるわけだし。
でも出来高制のほうが腕のいいメッセンジャーができるらしい。運んだぶんだけ貰えるのでやりがいがあるから。
東京にあるT-serb(映画の『メッセンジャー』のモデルになった日本のメッセンジャー会社)は時給制にしてるそうだ。
なぜなら出来高制だろうが時給制だろうがほとんど変わらなくなるくらい注文がくるからだそうだ。さすがは日本のメッセンジャーの先駆け!
そういった意味で安定してるのはやはり東京・大阪等‥。やっぱりか。
薬師寺さんは本業をしつつも、メッセンジャーという仕事の魅力に惹かれて福岡にメッセンジャーを根付かせたいという気持ちでやっているということだった。
すごい行動力だと思うし、ためになる話も色々と聞けたし、ここに見学にきてよかったと思った。
メッセンジャーの人も2人帰ってきて少し話をした。確かに生活は厳しそうな話だった。やめといたほうがいいよといいながら笑顔だったのが印象に残った。 やはりそれだけの魅力があるのだろう、この仕事には。
福岡だけでなく、他の所(東京や大阪)にも行ってきたらいいと言われた。なんか、もっと色々見学にいったほうがいいなと思った。俺はまだまだメッセンジャーについて知らないことが多いし。
自転車の話をしたりしてから、ご飯に連れていってもらった。どこに行きたい?といわれたので、博多ラーメンの一風堂に行ってみたいといったら連れていってくれた。
実はかなり一風堂の本店から近い。歩いて5分くらいだろう。
好きなのを頼んでいいよといわれたのでお言葉に甘えてしまった。ラーメンについて色々と聞いた。さすがに福岡の人だけあってとんこつラーメンには詳しかった。 とんこつがこってりしつつも飽きない味でおいしかった。
ご飯を食べ終わったあとにお礼をいって別れた。あの人達に出会えてとてもよかったと思う。
話が変わるが、そう、俺のチャリのスポークが折れてるのだ。自転車店に案内しようかとも言われたが、一応は乗れるし、明日は北九州で暇なはずだと思ってそっちで探してみますといって、俺は博多駅から小倉駅まで輪行してチャリを組み立てて北九州大学まで走った。
同回生のYきたとおがたと会った。色々な話をしてから、OBのおおでさんの車を借りてきてそれでドライブに出かけた。二回生のときの春ラリーで行く予定だったけど雪が降ったのでいかなかった皿倉山だ。620メートルくらいある。車の中でのトークはあまりに激しすぎて書けない。だがこの二人はやっぱり面白い。知り合えてよかったと思う。皿倉山に着いても話は尽きることなく、むしろ湧いてくる一方であった。皿倉山からの景色はとてもよかった。眺めは最高だったし、夕焼けも綺麗だった。なにより風が心地よい。夜はYきたの家に泊めてもらった。二回生のアーリーや三回生のはまちゃんもきてくれて酒を飲みながら馬鹿話に華が咲いた。
次の日は昼飯を食べに、久留米ラーメンの魁龍までやまきたのバイクの後ろに乗っけてもらって行った。ここのラーメンは俺は大好きだ。
それからは北九州大学の部室で和ませてもらった。一回生の女の子とかにも会った。
というか、北九州大学サイクは、現役の男女比が1:2ってなんじゃそれ〜!!
愛大サイクなんて、8:1なのに…。う〜ん、すごい。しかも元気のいい子がいっぱいでした。頑張ってほしいものです。
まだ西サ(西日本大学サイクリング連盟)に参加したことのない子には、西サの良さを伝えておいた。俺は西サが大好きです。
それからフェリーの時間まで暇だったが、やまきたはバイトなのでとりあえず部室にあるマンガを読んで暇を潰した。
そしたらおおでさんが来られてご飯を食べにいこうといわれるので、アーリーと一回生のヤマベという子とOBのなかしまさんとおおでさんと俺でうどんを食べに行った。
おおでさんが行こうといってた店は閉まっていたのだが、絶対にうどんを食べてやるというおおでさんは、穴場だといううどんのおいしい店に連れて行ってくれた。
アーリーと徳島の阿波踊りについて話したり、一つ上のOBさん達の話題でおおでさんと話したりした。うどんは本当においしかった。でもなぜか客は俺達しかいなかった。おおでさん曰く、ここは旨いのにおおでさんが行く時にはなぜか客がほとんどいないそうだ。飯時にも関わらずだ。
車で北九州大に戻って、うどんを食べに行った四人にお礼を言ってから別れた。
自転車でフェリー乗り場まで走った。相変わらずスポークは折れている。 まあ仕方がない。松山にもどってから自力で直そうと心で誓って、フェリーに乗り込んで、帰ったのだった。
今回のこの旅(?)は約二日とは考えられないくらいの濃さがあった。それもやはり自転車を通じての旅だからであろうか。メッセンジャー。不安なところもあるが余計にやってみたくなった。色々とまだ書きたいこともあるが、僕と会ったときにでも聞いてくれたら話します。他のメッセンジャーチームにも見学に行ってみようと思わせてくれた旅だった。