佐田岬ツアー またの名を 一人夏合宿
〜3日目(後編)〜
前回までのあらすじ
きつい坂を越えてローソンに辿り着き、休憩したのだった。
今日の目的となった歴史文化博物館を目指すことにした。地図で見る限り、あと3キロもないくらいだったので余裕をもって走る。近くにお遍路さんの43番霊場である明石寺があったので、そちらにいけば道に迷うこともない。スルスルと道を曲がってゆくと、看板があった。そしてでかい建物も見えた…。ただし、それは丘の上にあった…。なぜかこういう建物は丘の上にあることが多い。インナーでないと、ちときつい。トゥークリップに足が入ってない状態で立ち漕ぎをしていたら何かの拍子にペダルを漕いでいる足がすべり、サドルで尻を打った!それと同時に足の筋を痛めてしまった!さらにその姿を犬の散歩をしていたおじさんに見られてしまった。あちゃ〜、カッコワリー…。心の乱れを悟られないように努めてチャリで坂を登りだすと、犬の散歩をしていたおじさんに『この坂は自転車だと大変だね〜、頑張って!』と言われた。ありがとうございます。
頂上について、チャリを置いた。なかなか立派な建物じゃあないか。
中に入ってみると、どうやら見物料がかかるらしいが、せっかくなので見ることにした。歴史とか好きなのでこういうのは俺の心をくすぐるのだ。常設展では愛媛県の歴史が縄文時代から見る事ができて、あとは時期によって他の展示もやっているようだった。今回やっていたのは、絵馬展だった。絵馬の歴史などを見ながら、本物の絵馬を見ていくというやつだ。ちなみに常設展とイベント展示は各500円で、両方見ると750円だったと思う。
両方を見ることにして、とりあえず常設展に足を向けた。こういうのは色んな文献が並んでいるだけでよくわからね〜と思ってしまうものが多々あるのだが、ここは模型やビデオや音声などによって楽しめるようになっていた。まずは石器時代から平安時代までの展示。ここの最後は藤原純友の乱あたりまでだった。藤原純友は伊予の国司で海賊取り締まりの役人だったのですが逆に朝廷に反旗を翻して海賊になって大暴れした人です。平将門と同時期に叛乱を起こしていて、この二人の叛乱のことを承平・天慶の乱というのであります。
さて、ちょっと日本史っぽくなったが、次に鎌倉時代から江戸時代くらいだっただろうか。展示物は写真に撮らないでくださいという注意書きがあったものの、当時の住居を復元したものは撮ってもよいと書いてあったので撮った。せっかくだし。
ここらへんになってくると、武士の勢力争いの様子がよくわかる。河野氏が頑張って領地を認められては、鎌倉時代の承久の乱の時に後鳥羽上皇側に付いたが、負けたので領地を没収されたりしている様がよくわかった。早い話が、河野氏は『いざ鎌倉』のときに鎌倉側(幕府)に付かなかったってことです。毛利元就の3男の小早川隆景に伊予を占領され、江戸時代になると藤堂高虎が宇和島藩にきて宇和島城を作ったらしい。そこらへんはあまり知らなかったので勉強になった。藤堂高虎は築城の名手として知られていたらしい。ゲームでも出てくるくらい有名な武将です。畜生、そうなら宇和島に行ってみてもよかったなと思ったのだった。
ほいで、有名な村上水軍とかの資料があった。伊予は水軍が強かったことで有名なのだ。中国地方からの攻防のせいだろう。舟も二種類あって、速さ重視型と戦国時代の戦艦型みたいなのだった。でかい模型があったが写真に撮るのを忘れた。撮ってよかったかどうかも覚えてない。そして、近代に入っていった。
近代に入ると、当時の新聞などがかなりよい保存状態でおいてあったりした。当時の市電を復元したものなどもあったし、街並みを再現した通りなどもあって面白かった。食堂の模型に至ってはうどんの食べ残しの状態まで再現しているのだからビックリした。スープに触ってみたが(いいのか?)固かった(笑)なんか昭和初期って感じだった。
他にも地方のお祭りのビデオや地方ゆかりの昔話を聞ける設備などもあったが、全部は見てられないし、聞いていられない。少し聞いただけでもかなり眠くなった。とりあえずザッと見たり聞き流して、イベント展示の絵馬を見に行った。絵馬というと合格祈願の絵馬とかそういう感じのやつかと思っていたらそうではなく、神社とかにかけてあるどでかい絵馬のことだった。最初は藁で編んだ馬の模型などを納めていたらしいが、それが絵となり、文化として発達していったらしい。基本的に愛媛県の神社の絵馬が展示されていた。絵馬にも歴史あり。五条大橋での牛若丸と弁慶の絵馬もあれば、明治時代の戦争の様子を描いた絵馬・ガラスを使って風景と人間を分けるようにして作った絵馬などもあった。う〜む、珍しい。ガラス絵馬は絵馬とは思えないほどオシャレで綺麗だった。
全部を見終えたあとにわかったのだが、この博物館は地元民の図書館でもあるようだった。こども向けのコーナーや喫茶もあるし、何度もいうがデカイ。ただ、この図書館は子供が利用するには難しいところに建っている。激坂の上だからなぁ…。
足を痛めたのだが、まだそれほどの痛みでもなかった。宇和町には風呂がなさそうだったのでとりあえず大洲を目指して走ることにした。するとちょっと走っただけで急に痛くなり始めた。かなり気になる痛さだった。だが、このままでは風呂にはいれない。いや、大洲にいっても風呂があるという確証はないのだが、いけばどうにかなるだろう!と思って無理して走った。
実は結構な上り坂があるではないか!?右足が悲鳴をあげ始める。時々左足だけでチャリを漕ぐ。トゥークリップのおかげでどうにか左足だけでも走ることができる。ただ、疲労が早い。正念場のときだけ両足で漕ぐようにして、あとは痛みがひどくならないように片足走行した。
大洲に着いてから、風呂を探すもどうやらないようだった…。ないのか…。悩んだ末に、ユースホステルに泊まる事を考えついた。しかし、泊まると高いからなぁ…。でももう2日も風呂に入ってないし…。よし、3,500円以内だったら泊まろう!!そう思って電話した。すると、ユース会員でない方は素泊まりで4,200円と言われた…。賭けに負けたので、どこか泊まるところを探そうと思って公園とかを探すためにるるぶを見たりするが、オートキャンプ場になっててお金がかかるとか、山の上とかだったのでひとしきり悩む。色んなところをウロウロしていたので足も痛いし疲労もピークだった。
もう夜の8時。腹が減っていた…。とりあえずなんでもいいから食べたいと思って、フジグランの惣菜などを買って、大洲駅に移動してご飯を食べてからまた泊まるところを探すことにした。駅にいくと、先客がいた。88箇所巡りを徒歩でしている人だった。駅寝するらしかったので、俺もそうすることに決めた。というか、もう元気がなかった。足も痛かったし、雨が降ってきたから。
惣菜を食べながら話をした。その人はもう1ヶ月以上お遍路さんをしていて、ご接待(お遍路さんしながら物やお金を貰うことらしい)だけでここまでやってきたそうだった。最初はお金を持って歩いてたらしいのだが、どっかの寺の和尚さんに『それでは修業にならんでしょう』と言われて、それもそうだと思って現金を実家に送り返したということだった。すげぇ…。2日くらい食べなくても歩けるものですよと言われて、タフだなぁと感じた。正直なところ、チャリダーは俺の中でかなりハングリーな部類に入っていたし、それが武器だとも思っていただけあって、このような自分たちよりも上をいくハングリーな人と会うと自分自身のことを妙に情けなく感じた。徒歩での旅の醍醐味を語られて、徒歩もいいなぁと思った。休みたいと思えば木陰で休憩することもできるし、それが気持ちいい。自転車以上に地元民と触れ合う機会が多いし、色んな体験ができるだろう。
その人は今日貰ったものとしてカロリーメイト10パックを見せてくれた。これで10日は生きられるといわれた。えっ!一日1パック?食事でカロリーのことしか考えてないらしく、安くてカロリーの高いお菓子を探して買っていると言っていた。でも今日はお金を出して食事を買ったといって、低脂肪乳1リットルと納豆3パックを見せてくれた。納豆を素手で食べていたのでちょっとびびった。もう慣れっこらしい。まあ箸もってないんだからしかたないのだろう。
お遍路さんを巡ったあとはどうするのか?とか聞いたり、こちらの今までのチャリ旅の話とかをしたりして寝た。結局風呂に3日連続入れないままだった。なんか蝿がめちゃめちゃ多かった。俺らの体臭のせいだったのだろうか???